泣くなよ、泣くぐらいだったら諦めるなよ。
 自分の好きなものには、もっと堂々としてればいい。





 明るいところにいる。
 
 目を開ける。どうやら布団の中にいるらしかった。消毒液のような、独特の匂いが部屋中漂っている。

「っ、苦っ」

 口の中にざりざりと舌触りの悪いものを感じた。先ほど、そう、自分は何かに蹴躓いて転んだのだ。地面に突っこんだとき口の中に入ったらしい。頬や鼻に触れてみたが、こちらは誰かが拭ってくれたらしく、土はこびりついていなかった。

 戸が静かに開いて、数馬が顔を出した。水の入った盥を持っていて、藤内の目の前に下ろす。

「気がついたんだ。じゃあこれで口の中を洗って」

 言われるままに口の中をすすぐ。
 まだざらりとした触感は残っていたが、大分マシになった。
 手拭で口元を拭っていると、またもや障子が開く音がした。今度は少し慌てたような開け方。
 ひょこっと申し訳なさそうに出てきたのは厠の裏で会った一年生、喜三太だった。

「あのう、浦風先輩大丈夫でしたか」
「喜三太君ね、君が気絶したところまでぼくを案内してくれたんだよ」

 うわ何て情けない! 藤内は頭を抱えたくなった。
 おずおずと傍によってくる後輩は眉を八の字に曲げていて、逆にこちらが申し訳ないくらいだ。
 今日と昨日、何かに呪われているかのように自分の情けなさが露呈されすぎている気がする。後輩を勝手に得体の知れないものだと思い込んで逃げ出したり、なめくじの入った壺に蹴躓いて転んで気絶するなんて。というか最後のはもう死ぬほど間抜けだ。穴があったら入りたいとはこのことか。

「でもびっくりしましたー。突然先輩が現れたから。あそこ、滅多に誰もきませんもん」
「……喜三太はあそこ、よく行くのか」

 喜三太が顔をほころばせる。

「はい! あそこ可愛いなめくじさんたちがたくさんいますから!」
「……ああ、そうなんだ」

 そりゃああんなに湿気ていて、ほとんど人が近づいてこないところ、なめくじにとっては極楽だろう。
 
 でも昨日はなめくじさんあんまりいなくってがっかりでした、と喜三太が不満そうに呟く。藤内は少し躊躇いがちに、

「つかぬことを訊くけど、あそこで何か喋ったりとかしてたか?」
「はにゃ?」
 
 不思議そうに首を傾げる。

「あんまり覚えてないけどなにか言ったかもしれません。ぼく夢中になると周りが見えなくなって」
「そう、か……」

 ということは、名前を呼ばれたというのはまったくもって、清清しいほどに気のせいだったわけだ。言葉の一部分だけを聞いて名前を呼ばれただの何だのと勘違いをしていたのだろう。もちろん今日の呟きも。
 ああ本当に、真相を知っていけば知っていくほど情けなくて涙が出そうになる。唯一の救いは、昨日自分が上げた叫び声を後輩が覚えていないことだ。

 その後輩が、あ、と思い出したように声を出す。

「そういえば、昨日聞こえた叫び声が先輩の声にそっくりでしたけど、あれは先輩だったんですかあ」

 意外とあっさり救いは潰えた。

 それはそうと思い出したことがある。厠に向かったのは虫籠を回収するためだった。どこにいったのだろう。宙を舞って何処かへ吹っ飛んでいったのは覚えているが。

「ああ虫籠ね」

 数馬に問うと、彼は大丈夫と頷いた。

「あれは孫兵に返したよ。傍を転がってたから、ちゃんと回収してきた。虫取り網も持って帰ってきたから、もうあの厠へ行く必要は無いよ」

 色々見抜かれているみたいだが、恥を重ねすぎた藤内はもはやどうでもいいという域に達しはじめていた。
 零と一の差には大きいものがあるが、三と四の差は大したものではない。今更、といった感じである。
 
 そんなことよりやらねばならないことがあった。
 
 藤内は立ち上がった。数馬と喜三太がきょとんとした瞳で見つめてくる。構わず数馬に尋ねた。

「孫兵は今、どこにいる」
「え……ああ、多分、自分の部屋だと思うけど」
「分かった」

 答えて早々医務室を飛び出す。
 早く言いたいことがあった。
 昔、彼に言ったことを思い出したのだ。


 


 

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