今日も孫兵は毒虫を逃がした。それも大量に。さっきから生物委員やら教師やらがあちこちを奔走している。それは彼と同学年である三年生も同じことで。
「ううっ、あいつには学習能力というものがないのか!」
「藤内、叫ぶと逃げるよ毒虫が」
「それぐらい分かってる!」
分かっているけれど叫ばずにはいられない。
茂みの中を探ってみたり、床下を覗いてみたり、部屋を見渡してみたり。
果たして何十匹逃したのか、予想がつかない。
逃した本人である孫兵ならば分かるかもしれないが、同時に聞きたくないという気持ちもある。
下手に尋ねて何百匹とか言われたらそれだけで倒れてしまいそうだ。
「嫌になる気持ちもわかるけど」
数馬が呟いた。彼は藤内の横で別の茂みを探っている。
「もうそろそろ慣れた方がいいと思うな。彼に学習能力を望むよりも、こっちの方が遥かに楽だよ」
既に色々諦めたような口調だ。藤内はむっと口を結んだ。数馬の言うとおり、確かにそちらの方が楽なのかもしれないが納得がいかない。
「だけど数馬、」
「あ、見つけた」
藤内の言葉を遮って、数馬は一枚の葉の上にいた毒虫を首尾よく捕らえた。これで七匹目だ。
対して藤内はまだ二匹程度。うんざりだと思うものの、こうも差をつけられてしまうと軽い対抗心のようなものが生まれる。
ほぼ同じ場所を探しているというに、どうしてこうも違のか。
否、同じ場所で肩を並べて探しているからこそかもしれない。
「別の場所探してくる」
「え? ああ、分かった」
用意してある籠に虫を放り込みながら返事をする数馬に背を向けて、藤内は立ち上がった。
どこか他に毒虫がいそうな処はないだろうか。
虫籠と網をぶら下げあちらこちらまわってみたが、いかにもという処はほとんど見つけ出すことが出来なかった。あったとしても既に他の生物委員や生徒が陣取っていたりして、藤内の出る幕はない。
それでも諦めずに学園内を見回っていると、最終的に辿り着いたのは厠の前だった。数ある厠の中でもあまり使われていない場所だ。
使われていない理由は化け物が住み着いているからだとか言われているが、校舎と長屋から最も遠い場所にあるからというのが本当のところである。
滅多に使われないので、いつしか保健委員も落とし紙を補充しなくなって、益々使用する者が少なくなってしまった。一年や二年など、ここに厠があること自体知っているかどうかも怪しい。
しかし元いた場所から随分と遠くに来てしまったものだ。
藤内はため息を吐いた。
妙な対抗心を抱いたことが馬鹿らしく感じてくる。
幽霊が出るなんて根拠のない話ではあるが、火の無いところに煙は立たぬというか、そう囁かれるのも分かるような気味の悪さがここには漂っている。
戸は壊れかけてきぃきぃと不気味に揺れているし、辺りはじめじめと湿気ていてどんよりと重たい感じがする。その上、夜でもないのに木が鬱蒼と茂っていて妙に薄暗い。
無意識に腕をさする。一刻も早く離れてしまいたい。
毒虫が大脱走した場所からはかなり離れているので、きっとここには逃げ込んでいないだろう。いるのはせいぜいナメクジくらいか。
もし逃げ込んでいたとしても、こんな場所滅多に立ち入らないのだから、毒虫の一匹や二匹潜んでいても構わないという気分になってくる。
普段の藤内ならば間違っても思わないようなことだったが、このときばかりは引き返したいという気持ちが強すぎた。今だって風に揺れて微かな物音が――
――――っ――――
「……………!?」
風に乗って聞こえたのは微かな息遣いだった。
ごくり、と溜まってもいない唾を飲む。
多分、厠の裏からだ。気のせいか、それとも誰かいるのだろうか。望むならば断然前者であるが、どうしてだかその可能性は低い気がした。
誰か、いる。
確信しながらも、藤内の口は動かなかった。誰かそこにいるのかと問いたいのに、口元が上手く動かない。情けないことに、足がカタカタと震える。こんなに自分は臆病だったかと、責めるように胸の内が苦しくなる。
けれども、藤内はもう一つ、恐怖とは関係の無いものを感じていた。
妙な、既視感。
今起こっていることと似たようなことが、前にもあったような気がする。
人気のない厠、誰とも知れない声、佇む自分……。
そう、前にも。
――――ない――――
「…………っう、わああ」
今度ははっきりと声になっていた。恐怖が全ての感情を上回り、手に持っていたものを放り出し駆け出した。あれは自分の名前を呼んだのではないかと恐ろしく思った。
だとしたら誰が、どうして。
どちらにしろ、その場を離れてしまった藤内が真相を知るのは困難なことだった。
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続きます。
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