彼にとっては喜ばしいことに違いないだろうが、六年間寝食を共にしてきた同室の留三郎はどうしても不気味に思ってしまう。
 繰り返すが、本来ならば喜ぶべきことである、はずだ。

「最近、何だかツイてるんだ」

 衝立の向こうで薬を煎じながら、伊作が楽しげに言う。
 強烈な匂いに顔をしかめながら、留三郎は胡坐の姿勢を崩した。ご機嫌な同室者は、こちらの僅かな動揺も気づかずに尚も続ける。

「落とし穴に落ちることもないし、腐った床板に足を突っ込むこともない。落し紙の補充も無事に終わるし、薬棚をひっくり返すこともないんだ」

 なんて幸運なんだろう、と締めくくる伊作は、にこやかを通り越してにやけているであろう。衝立の上から覗き込んだ留三郎は少し呆れて、持っていた草子の角で軽く頭を小突いた。

「あて、何するんだ」
「どうしてそうお前は呑気でいられるのかと思ってな」
「どうしてって」
「妙だと思わないのか」
「妙? 何で」

 振り向いた伊作の表情はやはりにやついてるというのが妥当な表現で、この唐突に降って沸いた幸運に何の疑問も、一欠けらの戸惑いさえ抱いていないようだった。割と図太く前向きな奴だとは思っていたが、ここまでくるといっそ感心――まではさすがにいきはしないが、心なしか、薬草をすり潰す鈍い音まで軽快に聞こえてくる。

「しかし、いつからなんだ。三日前の朝は落とし穴に足突っ込んでたよな」
「そういえばいつからだろう。三日前といえば……あの日の放課後、委員会の後輩たちと町に行った時は、凶暴な犬に追い掛け回されたりしたから、その後だろうなあ」
「……」
「逃げる時に洗濯物を引っ掛けて後輩が土手に落ちて……あれ、おい、話振っといて寝るなよ」

 耳にするだけで疲れるような話である。留三郎は衝立から離れて草子を適当に置き布団に潜り込んだ。このまま聞き続けていれば糸口はつかめるかもしれないが、その前に夜が明けてしまうのではないかという危惧の方が強い。兎も角彼は話が冗長なのだ。
 今は眠って、明日また聞き直せばいい。場合によっては彼の後輩にでも。




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