乱太郎は重いため息を吐いた。原因は明白。この間――といってもほんの数日前だが、同室者で親友のきり丸が怪我をして、それで一気に浪費してしまったのだ。元々包帯は減りかけており、そろそろ補充しなければと思っていた矢先のことだった。 「参ったなぁ」 顧問の新野に知らせようとしても彼はあいにく薬の買出しに出ており、いつ帰ってくるかも分からない。新野の助手の伊作も一緒に出かけているし。忍術学園では実習による怪我などが多いので、包帯が無くなるのはかなり困る。一応包帯がなくなっても布などで応急処置はできるのだが、やはりそれだけでまかなえるものでもないし。 医務室で一人無くなりかけの包帯を手にしながら、乱太郎はもう一度ため息を吐く。 嫌でも思い出す、昨晩のことを。怒りと悔しさ、そして唐突過ぎる口付け――一日経った今でも乱太郎の頭を悩ます、きり丸の行動。 深夜近くにきり丸は帰ってきた。 幸い新しい傷を負ってはおらず乱太郎は安心したのだが、きり丸を許すことはできなかった。きり丸が銭を必要としていることは分かる、理解している。けれども感情が追いつかないのだ。 その結果、今まで彼とは一言も言葉を交わしていない。 (矛盾しているのは分かっているんだけどなぁ) 彼を理解したいと思う。仮にも長年付き合った友人なんだし。だけれども、彼の行動は許せないのだ。どうしても許せない。 唐突にからりと戸が開いた。乱太郎は慌てて考えを振り払う。今は保健委員としての役割を果たさなければ。 怪我人か病人かが来たのだろう。そう思って戸を見たのだが、乱太郎の予測は外れて視界に移ったのは六年生にして保健委員長の川西左近だった。静かに戸を閉めて、乱太郎の方へと歩いてくる。 「川西先輩、今日当番でしたっけ?」 「いや、違う。だけど新野先生と伊作先輩が不在の今、幾ら当番だからって後輩に任せるのは酷だろうが」 「はあ……」 言って左近は乱太郎の傍に腰を下ろした。 昔から基本的に一学年上の上級生は意地悪だという定説がある。定説に則り、左近も乱太郎たちをからかってくることはあるが、時折こうして優しい処を見せることがあった。 乱太郎は少しだけ顔を和らげて、左近に包帯を渡した。 「先輩、包帯がきれそうなんですが」 「知ってる。新野先生が薬と一緒に買ってくるって言ったから心配はいらないさ」 「あ、そうなんですか。良かった」 左近が救急箱に包帯をしまうのを視界の隅に入れながら、乱太郎はほっと胸を撫で下ろした。新野先生たちが帰ってくるまでなら、この少ない包帯でも持ちこたえられるかもしれない。例え怪我人が出ても……。 ああ、まただ。 安堵した途端、中断していたきり丸への思いが頭をもたげてきた。正直いい加減にして欲しいとは思うものの、それは乱太郎が止められないほど悩ましいものだ。 きり丸への感情、それと自分への感情。何がいけないのか分からない。自分の行動や思いが正しいのかも分からない。ただひたすら頭を悩まして。 誰かに相談できたらどんなにいいだろう。この思いを包み隠さず話すことができたのならば。 どんなに。 「おい」 「は、はいっ?」 不意に耳に届いてきた呼びかけに、反射的に声を返した。呼びかけてきた左近の顔を見てみると、何とも怪訝そうに眉根を寄せている。しまった、委員会中だというのに私事に没頭しすぎたか。 申し訳なく思い左近に謝ろうとしたとき、意外な言葉が耳に飛び込んできた。 「聞くことはできるぞ」 「え?」 問い返すと左近はそっぽを向いて、 「だからっ、不本意ながら一応保健委員長だしな。悩みがあるなら聞いてやる」 とてつもなく意外な言葉に乱太郎は一瞬呆けてしまった。 ぽかんとしている乱太郎に気づいたのか、左近は照れからなのか頬を赤くさせ、不機嫌そうな顔を作る。しばしの沈黙の後、乱太郎はやっと目の前の先輩の言葉を理解することができた。 それでも驚きが抜けない。ぱくぱくと酸欠気味の魚のように口を開閉して、やっと左近に声を掛けた。 「えっと――川西先輩、その、何と言っていいか」 「何を言ってもいいが、そのあからさまに驚いたような表情はどうにかしろ」 「はい。でも正直意外でした。先輩がそんなこと言うなんて」 「そんなに意外か?」 「ええ」 きっぱり頷くと、左近はがっくりと項垂れた。僕の印象って一体……などとぶつぶつ呟いている。まあまあと宥めると、独り言は止めてくれたがより一層不機嫌な顔になっていた。 「それで、言うのか言わないのか」 「ええっと」 ここは先輩のご好意に素直に甘えてしまおうか、と思った。悩みをぶちまけられたならばどんなにすっきりするだろう。頭の整理もつくかもしれない。 話して、しまおうか。 そう思うのに口が開かない。別に左近に対して言うのが憚られるというわけではない、只――何故かは分からないが、それでは駄目だと思うのだ。確かに悩みを話せばすっきりするかもしれない。しかしそれでは逃げたことになるのだと、何処かで誰かが言っている気がするのだ。 それが誰なのか、何故逃げたことになるのか。 それは乱太郎にも分からないのだけれど。 考えあぐねて沈黙していると、左近はため息を吐いて先ほど救急箱にしまった無くなりかけの包帯を乱太郎に放った。 「やるよ、それ」 「へ?」 「どうせ新野先生が買ってくるんだし、無くなりかけてる奴なんかいらないだろう」 「はあ、でも」 包帯を投げ渡してきた彼の真意を測りかねて、乱太郎は困惑した。それにこれは学園の備品だ、勝手に貰ってもよいものだろうか。 乱太郎の疑問に気づいたのか左近はすかさず、 「新野先生には包帯はなくなったって報告しとく。その包帯だって人一人分手当てできるくらいは残ってるんだし、お前が持っとくといいだろう」 「………」 「危なっかしい親友の為にも持ってろよ」 「え? 何で知って」 反応すると、左近は不機嫌そうな顔を改めて少しだけ唇を引き上げ微笑んだ。救急箱を閉めて隅に置きながら言葉を紡ぐ。 「久作から聞いたんだよきり丸が怪我したって。あいつら同じ委員会だから。それに二日前くらいかな、土井先生が胃の薬を貰いにきたしね。お前もお前で包帯持ってぼんやりしてるし。心配なんだろ?」 「……はい」乱太郎は言われるがままこくりと頷いた。色々と難しく考えてはいたものの、結局はきり丸が心配なだけなのだ。怒りとか、悔しさとか、口付けだとか――本当はまったく関係ない。 只、心配なだけ。 ぎゅっと唇を引き結び、きり丸の表情を思い浮かべる。あの夜の、彼の表情を。危ないバイトだとか行動だとかそれよりも不安を掻き立てる表情を。 「まあでも、僕に話しても仕方ないのかもな」 「先輩?」 唐突に掛けられた声に、乱太郎ははっとして問う。はっきりしない自分に怒ったのかと思ったが、どうやら違うようだ。左近は珍しいくらい柔らかい――優しげな微笑を湛えて、乱太郎の方を見つめていた。 「お前が話すべきなのは、僕じゃない」 「………」 「本当に話すべき相手は、お前の困った親友だろう」 言い聞かせるように呟く目の前の先輩に、乱太郎は胸をつかれたような気がした。まったくそうだ、何故思いつかなかったのだろうか。 言葉で全てが解決するとは限らない。けれど、言葉が必要なときは確かにある。本心を口に出さなければ、伝えなければ、きり丸だって乱太郎を理解することはできないだろう。左近の言うとおりだ。 そんなこと、幼い頃は無意識に分かっていたはずなのに、いつから本心を隠すようになってしまったのだろうか。 何かが変わるかもしれない、或いは何も変わらないかもしれない。 けれど伝えなければ、結局何も変わらないのだ。 そこまで考えてみると、急に憑き物が落ちたかのように晴れやかな気分になった。自分でも単純だと思い、少々苦笑してから左近に礼をするようにお辞儀をする。 「ありがとうございます、先輩」 「僕は僕の役目を果たしただけだ。ため息ばっかり吐いてる後輩なんて使えないからな」 「あ、折角尊敬しかけてたのに」 不機嫌そうな表情を作ってみせると、左近は途端に吹き出してけらけらと笑い出した。先輩の威厳とか何だとか全てを台無しにする顔に、乱太郎も表情を崩す。 二人して涙を浮かべて、何が面白いのか腹を押さえて大笑いしていた。
それにしても駄文から続いているこの話、いつになったら終わるのか。それは私にも分かりません(ぇー) |