油断すればあらぬ方に向かおうとする背中を慌てて追った。服の裾をつかむと、振り返って微妙に嫌そうな顔をされる。

「何だ四郎兵衛、怖いのか」
「違いますよ」
「ならどうしてつかむ」
「先輩が違う方向に進もうとするから」
「一本道だぞ、迷うとでもいうのか」

 と言いながらその足はもう獣道と向かっている。引っ張って正しい方向に直そうとするのも並大抵のことじゃない。逆に引っ張られるような形になって、ずるずると茂みの中に吸い込まれてゆきそうになるのを、背後から伸びてきた手がとどまらせる。

「そろそろ失踪する頃合だと思ったが、案の定か」

 ふんと鼻を鳴らして、滝夜叉丸が二人を引き戻した。

「ただでさえ大変だというのに、この上迷子の捜索なんてごめんだな」
「迷子って誰のことですか」
「お前に決まってるだろうが三之助!」

 そこから言い合いが始まるのはいつものことで、四郎兵衛はこっそりため息を吐いた。先導していた小平太は既に見えない。暗くなりかけた山道に取り残された三人――後方から金吾が追いついてきたので、四人になるのか。
 四郎兵衛達のところまで駆けてくると、金吾は立ち止まり、またですかあと喧嘩する上級生二人に視線をやった。

「もう先に行っちゃいましょうよ」
「でも……」

 小平太がどこまで進んだのかわからない。闇が濃くなってきた山道の中を下級生と二人、というのは少し心もとない気がする。だがこのままここにとどまっていても仕様がないのは確かだ。何より金吾が怖がっていないのに自分が怖気づいているのはちょっと情けない。

「それじゃあ、行くか」
「どこに行くんだ」
「うひゃあっ」
「ななな七松先輩!」

 遥か前方を行っていたはずの小平太が何故か後ろから現れた。悲鳴を上げた四郎兵衛と金吾を余所に、未だに埒のあかない言い合いを繰り返している二人を見つめる。

「やっぱりやってたか。後ろ振り向いたら誰もいないんだもんなあ」

 髪の毛に絡んだ葉や土片をそのままに、しょうがない奴らだと明るく笑った。それからおもむろに喧嘩している両人に近づくとひょいっと担いでしまった。これには四郎兵衛も呆気にとられたが、何より驚いているのは突然担がれる羽目になった三之助と滝夜叉丸だ。

「な、七松先輩。いきなり何なんですか」
「下ろしてくださいっ」

 へばった下級生にするような行為を、三、四年生である二人が拒むのは当然のことだ。しかし声に先ほどまでの勢いがない。

「頭が冷えたら下ろしてやろう」

 笑顔であっさりと二人の抗議を斬って捨ててしまった。ありがたいような、恐ろしいような。どちらともつかないが、四郎兵衛はとりあえず胸を撫で下ろした。これで金吾と二人だけで暗がりを行かなくてすむ。

「わっはっは、さあ行くぞ。二人とも、はぐれないようにちゃんとついてこいよ」

 驚いたことに、走りだす小平太の足の速さが荷を担ぐ前とあまり変わっていない。手を伸ばす暇もなく、いっけいっけどんどーんと普段の調子で突き進み始める彼の背はみるみる小さくなってゆく。うへえーと担がれた二人があげる声も遠くなっていった。
 信じられないよ。隣を走る金吾が感心半分、呆れ半分といった調子で呟く。
 うん、と四郎兵衛は頷いた。

「つかめない裾が一番厄介なんだ」

 小平太の背中はやがて消え、結局は暗い山道を二人で走る羽目になってしまった。