十九時三十五分。
 時間を確認したのとほぼ同時に車内アナウンスが流れた。目的の停留所はこの次だ。二の腕までずり落ちたショルダーバッグをかけなおし、ちらりと視線を隣にやる。
 二十代ぐらいだろうか。初めて見る顔だ。今時珍しい金髪の男。五つ程前の停留所で乗り合わせた彼は、隣の座席に座り込んでからずっと音楽を聴いている。
 イヤホンから少し音もれしているが、目を閉じて聞きほれている本人は気づいていないようだ。……もしかしたら眠っているのかもしれない。エンジン音が煩くて寝息の確認ができないので何とも言いようがないが。
 バスが止まった。乗客が何人か降りてゆく。最後の降車客が乗降口から出ていくと、ドアが軋むように閉まった。走行を始めてすぐに機械的な音声が流れ、目的の停留所を呼びあげる。降車ボタンを押すと、いきなり肩が重くなった。いよいようんざりとして、滝は首を小さく動かす。金髪の男は完全に眠りこけていた。

「あの、ちょっと」

 声をかけても反応しない。ならばと腕のあたりを軽く揺さぶってみるが、やはりうんともすんとも言わない、どころかますます体を傾けてきた。

「すみませんってば」

 しばらくゆすぶり続ける。隣の席が通路に面しているため、彼が起きない限り滝は席を立てない。赤信号で引っかかっているうちに起きてくれなければ困る。次の信号を左折すればもう目的の場所なのだ。

「ううーん」

 やがて軽く身じろぎし、

「先輩……それはないですってばあ……」

 ようやく起きたと思ったら寝言だ。先輩なんてどうでもいいからさっさと起きろと怒鳴りつけたくなる。停留所も苛々も臨界点に近い。

「降りるんです、起きてくださいっ」
「ふにゃっ」

 腑抜けた猫のような声を出して目を開けた。きょろきょろと辺りを見回し、それからこちらに視線を向ける。

「どちら様ですかー」
「そんなことはいいからさっさとどいてくれっ!」

 乗客の視線が一斉に集まった。目立つのは嫌いではないが悪目立ちの場合は別だ。どうしてこんなにばつの悪い思いをしなければいけないんだと腹立たしくなる。

「ああ、そっか」

 男はやっと合点がいったという顔で呟いた。

「降りるんですねー」

 だからさっきからそう言っているというのに。日和に日和った声は余計に神経を逆撫でしたが、ここで怒鳴ればまた目立つのは確実だ。さっさと退いてもらって関わりを断つのが一番だろう。
 信号が青に変わった。ゆっくりと車体が左に傾いてゆく。停留所が近づいてきた。一刻も早く降りてしまいたい。
 速度が落ちる。
 男が腰を浮かした。

「どうぞー」

 にこやかに言われ、苦々しくも会釈する。
 ずっと同じバスを利用しているが、今まで一度も見かけたことがない男だ。きっともう二度と会うことはない。そう思えば限界に近かった気持ちも幾らか収まる。いや、収めなければいけない。
 停留所に降りたつ。一人用の簡素な待合椅子と時刻表のはがれかけたポール。バスは唸りをあげ、見飽きた風景を通り過ぎていった。
 一つ前の街灯がまだらに瞬く。明るい金色が点いたり消えたりを繰り返しているのを見るのは好きじゃない。目がちかちかする。
 ゆるやかな風が流れて腕を抱いた。春になったばかりの季節は少しばかり寒々しい。
 そうやって様々なことに気を散らし、降りてからしばらく歩いたというのに、隣に乗り合わせた男のことが頭から消えない。単純に派手な見た目をしていたこともあるが、そればかりではない。不可抗力とはいえ、完全な赤の他人相手に騒ぐようなことはあまりなかった。その所為で頭から離れないのだ、偶然出会ったはた迷惑な存在が。