寝苦しくも、肌寒くもないのに、上手く寝付けない夜がある。
 嫌ね、夜更かしは肌に良くないのにと思いながらも、無理に目を閉じようとはせず、トモミはそっと布団を抜け出した。隣で眠るユキを起こさぬよう、できるだけ音を殺して戸を開ける。
 天には綺麗な三日月がかかっていた。幾千の星が柔らかく瞬いて、眠ることのできない焦燥と、ほんの少しの優越感。長い黒髪をかきあげて、外廊下の終わり、一等夜風の気持ち良い場所に腰を下ろす。
 もちろん、夜中に出歩いている事が知れたら拙いのだが、ぐずぐずと布団の中で過ごすのは酷くつまらない。もし見つかっちゃったら、厠の帰りとでも言おっと。トモミは気楽な様子で足を小さく揺らした。暗闇への恐怖はまったくなく、むしろ気分が高揚しているような気さえする。
 その所為もあるのだろうか。近づく娘の気配に身を竦めたのは、声をかけられた後だった。

「トモミちゃん」

 振り向くと、月明かりに照らされた顔が浮かび上がる。その少女は誰であろう、先程起こさぬようにと気を付けた同室のユキだった。彼女は柔らかな茶髪を揺らして、トモミの隣に腰かけた。

「ユキちゃん、どうして」
「あら、気が付かなかった? 私、トモミちゃんが部屋を抜け出す前から目を覚ましてたのよ」

 悪戯っぽく笑うユキを、トモミはまじまじと見つめた。

「本当?」
「私の狸寝入りも大したものね」

 前から興味あったのよ、と呟いてユキが月を見上げた。長い睫を数度瞬かせる。闇の中で、場違いに眩しい少女。

「興味って」

 その顔を眺め続けるのが難しくて、トモミは口を開いていた。
 ユキの視線がまともに突き刺さったので、天を仰ぐ振りをする。

「私が偶に、こうして部屋を抜け出す事?」
「うん、どこ行ってるのかって、ずっと思ってた。でも眠気に勝てなくてさ。今日は大丈夫だったから、後つけたの」
「嫌だわ、気付かなかった」
「細心の注意を払ったのよ。そう簡単に気付かれたら落ち込むわ」
 
 淡々とした顔をしているけれど、口調は愉快そうな彼女に、トモミは僅か苦笑を浮かべた。ユキちゃんらしいわねと思わず零すと、ありがとと返されたので、やれやれと肩を竦めてみた。

「普通に訊けば良かったじゃない」
「うーん、でも、何だか言いにくい気がして」
「だからって、つけるなんて。面倒くさいでしょ」
「そういやそうかもね」

 からからと笑うユキに、トモミはまだ呆れた振りをしていたが、収まった動悸にはほっとしていた。文句の一つでも言ってやろうかしら。思って、口を開こうとしたのだけれど、それより先に、白魚の手がトモミの黒髪をすり抜け、頬へと伸ばされる。星明りより優しい柔らかさを受け止めて、トモミは一寸だけ、肌が温かくなるのを感じた。胸の奥が変に煩い。
 嫌よ。ホントに、何なのこれ。
 せめて面には出ないように、冷静な顔を取り繕う。

「月見も風情があっていいけれど、もう寝なくっちゃ。明日起きられなくなるし、何より……」
「美容に悪い」
「そうそ」

 ユキは立ち上がった。ふわりと浮き上がる髪が細い月光に遊ばれる。一見冷たくも見える横顔が夜に吸い込まれずとどまる様を、トモミはいつか、息もせずに見つめているのだった。ユキは少しだって気付いていないけれど。一人平気な顔をして、肌に纏わりつく夜風を非難する真似をするのだから。

「トモミちゃん、肌綺麗なのに、勿体無いわよ」

 ふとした弾みに投げる言葉すら心の臓に悪い。真顔なのが尚更。

「ユキちゃん、もしかしてからかってない?」
「本当の事よ」

 本当の、事。心中で反復する。それなら、この、彼女に抱く感情だって、本当の事なの? 
 寝付けない夜は幾つもあったけれど、こんなにおかしな夜は初めてだ。
 先を行くユキの背中を追いながら、今から上手く眠ることができるかしらと、深く深く思案した。