闇に混じるように一人静かに座っていると、意外に寒さが気にならないものだ。
 ぴんと張り詰めたような空気は優しくもないが冷たくもなく。少なくとも、傍目に思うほど辛くはない。

 ぼくは文机に肘をついて、しばらくぼんやりとしていた。
 夜も遅いのに、不思議と眠気は感じなかった。
 だからこそこうして布団を抜け出し、流れる夜を無為に過ごしている。
 何もかもを切り離したようなこの闇の中で只一人、思考の中をたゆたいながら。
 そうして取りとめもなく過ごしていると、背後の闇から衣擦れの音が聞こえた。続けて、名前を呼ぶ声。

「伊作」

 振り向くと、闇の中に白い寝間着が浮かびあがっている。もしかして起こしてしまっただろうか。そう尋ねると、留三郎は直ちに否定した。

「いや、足元が寒くてな」
「そうか。今日は随分冷えるからな」

 嘘ではない。今寒さを感じていないだけで、朝方や昼間、そして先ほど布団から抜け出したとき、肌寒さが気になったのは確かだ。
 食満は妙な風に黙った。別段と寒さを気にしていないぼくの様子に気づき、訝しんでいるのだろうか。
 まあしかしほんの一瞬のことだ。彼は僅かに流れた静けさを断ち切るように口を開けた。

「夜更かしは肌と髪の艶に良くないぞ」

 あまりにも真面目な口調だったものだから、彼なりの冗談だと分かるまで少し時間がかかった。

「……それは女の子にかける言葉じゃないのか」

 ちょっとした冗談だ、という言葉すら真面目腐って聞こえた。
 だけれどそこが彼らしくもある。

「留三郎は真剣に冗談を言うから今一分かりにくいね」

 素直に告げると、そうかい? と傾げたような声。

「だが正味な話、この寒さだ。早く布団に入らないと風邪をひくかもしれない。保健委員長が病気にかかったら他の生徒に示しがつかないだろう」
「それは言えてるね」

 頷いてみたものの、その考えはすっかり抜け落ちていた。

 いかに意識は寒さを感じていなくても、身体上はまったくの別だ。
 事実体温は随分と下がってきている。寝間着の上から何かを羽織るでもなく、これでは風邪を引かない方が難しいかもしれない。
 不幸な事故による怪我ならともかく(と思わなければやっていけない程、保健委員には事故が多い)、自業自得の怠慢で風邪引きになるなんて笑うに笑えないじゃないか。

 そう思うのに、どうしてだか動こうという気はまったく起きなかった。
 何故かと問われても上手く言葉にしようがない。只、今は布団の暖かさに埋もれていたくないと思った。
 夜の寒さに熱を奪われていても。

「じゃあおれはそろそろ眠るとするよ」

 留三郎はそう言うと共に、布団の中に潜りこんだ。ぼく自身もてあましている感情を、僅かにでも酌み取ってくれたのかもしれない。彼は不器用そうに見えて、誰より心情を察するのに長けている。
 それでいて無闇に首を突っ込もうとしないところが、留三郎の優しいところだ。

「ああ。おやすみ留三郎」

 ぼくは結局立ち上がることなく、布団の中の彼に声をかけた。
 ああ、おやすみ。てっきりそう返されるかと思ったが、意に反して留三郎は、先ほどと同じように名を呼んだ。

「伊作」
「ん?」
「しばらく起きているつもりなら、せめてもう少し暖かい格好をした方がいい」

 それはぼくが、委員会の会議等が夜に及ぶ際等に、下級生にかける言葉によく似ていた。
 自分が言うのは慣れているが、人に言われるのは妙な心持だ。
 ぼくも随分と自分のことを棚にあげているよなあ。少しおかしくなって、ふっと息を吐いた。
 どことなく張り詰めていた空気が緩んで、夜闇へと静かに溶けてゆく。

「そうだな、上着でも羽織ることにするよ」
「それがいい」

 留三郎の言葉を最後に、会話は途切れた。

 暗色が押し迫ってくる部屋の中の静けさが少しばかり物悲しい。先ほどまでは曖昧だった闇が急に冷たく感じられた。
 忘れていた寒さが気になり始める。
 腕を擦ると、鳥肌が立っていることに気づいた。足もまた、氷のように冷え切っている。

「早いとこ忠告通りにしよう」

 言葉は夜闇に消え、代わりに大きなくしゃみが出た。