昼食を終えたきり丸が取り出したのは、袋いっぱいに入ったチョコレートである。
 サイコロ形で、一つずつビニール紙に包まれた、いわゆるお徳用というやつで間違いなかった。

「食うか?」
「どういう風の吹き回しなんだ」

 と警戒しつつも両手でいくつか受け止めた。甘いものは苦手じゃない、というか好きな部類に入る。
 包みをはがして口の中で転がせば、徳用といえど侮りがたい美味しさだ。

「久しぶりに食ったけど、結構美味しいよな」
「うん。だけど、どうしてきり丸が」
「何だよ。俺がお前に物あげちゃ悪いってのかよ」
「悪くはないけど不気味だよ。それに今日は……」

 ドが付くほどケチなはずの友人が、お菓子といえども気軽にくれるのは珍しい。
 おまけに今日は二月十四日、俗にいうバレンタインデーだ。外国ならいざ知らず、日本では一般的に女性が男性に義理やら本命やらのチョコをばらまく日ではなかったか。
 きり丸はもちろん男だし、貰った乱太郎だって男だ。訝しく思っていると、彼は得意げに指を振った。

「お前、友チョコ知らねえの」
「うーん」

 耳にしたことはある。が、それはやはり女の子同士の話ではなかったか。
 それとも乱太郎が知らないだけで、世間では男同士であげるのも流行っているのか?
 流行っているとしたら……何だかちょっと虚しい気がする。
 考え込んでいる最中にもチョコレートは着々と消費していく。悲しくても美味しいものは美味しい。

「友チョコじゃなけりゃあ、逆チョコか」
「それはもっと違うと思う」
「まあ、あんま深く考えるなよ。まだ食うか?」
「いや、いいよ」
「何だよケチだな」
「意味が分かんないよ」
「あ、きり丸それ」

 顔をつきあわせながら言い合いをしていると、自販機から戻ってきたしんべヱが声を上げた。きり丸の持つチョコレートを指さしている。
 乱太郎はぎょっとしてしんべヱを見つめたが、きり丸は薄気味悪い程にこやかな顔で、しんべヱもこれ食うかと尋ねている。
 しかししんべヱは頭を横に振って、微妙な面持ちで乱太郎の前の席へ座った。
 いつもなら一も二もなく飛びつくであろう彼がだ。友人の不可解な行動に乱太郎は首を傾げた。

「いらねえの。じゃあ他の奴らに配ってくるぜ。後から欲しいつってもやれねえぞ」
「うん、いらない」
「しんべヱどうしたの、もしかして熱でもある?」

 あまりの事態に身を乗り出し彼の額に手を当てた。体温は平常だ。しんべヱは違う違うと苦笑いを浮かべる。

「ぼくもう貰ったから」
「え? きり丸から?」
「ううん、トモミ先輩から」
「……えっ?」

 話が飲み込めない。
 トモミといえば、良くも悪くも有名な先輩だ。学科も学年も違う彼女とは、乱太郎もしんべヱもほとんど関わることはない。きり丸のみバイト先が一緒でトモミと交流があった。噂通り恐ろしくしたたかな女だと時折愚痴っている。
 どういう事かときり丸に訊こうと思ったが、もう席を立った後だった。

「ええっと。きり丸のチョコは、トモミ先輩から貰ったものってこと?」
「うん、多分そうだと思う」
「そんな。貰ったチョコをどうして配り歩いたりするんだろう」
「お返しの所為じゃないかなあ」
「お返し……って、あ」

 しんべヱの言いたいことが分かって、乱太郎はにわかに青ざめた。
 すっかり食べきったチョコレートの包みがすきま風に揺れて笑っている。
 乱太郎が沈黙している間にきり丸はチョコを配り終えたらしい。戻ってきた彼の表情はとても晴れやかだ。

「あれ、どうしたんだよ乱太郎。そんな暗い顔して」
「きり丸、さっきのチョコレートの事だけど」
「おう、伊助に虎若、団蔵に金吾、みーんなに配ってきたぞ」
「それってやっぱりお返しの為?」

 しんべヱの問いにきり丸は合点がいったらしく、ああ、と他人事のように相槌を打った。

「態度がおかしいなあと思ってたけど、しんべヱもトモミちゃんから貰ったのか」
「うんまあ。二十袋ぐらいね」
「にじゅ……」
「そりゃまた奮発したなあ」

 けろりと言うきり丸を睨むと、彼はいたずらっ子のように笑って、悪かったと手を上げた。

「いやー俺だってこんな真似したくなかったんだけどな。仕方ねえじゃん。お返しをあんなにふっかけられちゃあ」
「でも、それならそもそも」
「お前の言いたいことは分かる。俺だってこんなおっそろしい物貰いたくなんてなかったさ。だが、あげると言われりゃ貰っちまうのがドけちの習性!」
「ああそう……」

 全身の力が一気に抜けた。それじゃあ仕方ないと頷いてしまいそうになる。
 更に気が抜けることに、一日分のチョコを食べたから今日はもういらないんだとしんべヱが腹を擦っていた。微妙な顔でチョコレートを頑なに拒否していたのはその所為だったらしい。大企業の御曹司たる彼には、お返しの額自体はさしたる問題でないのだろう。
 ――あれ、ちょっと待てよ。
 バイト仲間の友人、トモミにとってそれだけの存在である彼がターゲットになり得た理由というのは……。
 徳用チョコを選んだ訳にしても、きり丸の考えを全て見越したうえでだとしたら。
 それなら配りやすいでしょ、なんて笑う彼女の姿が……いやさすがにそれは考えすぎか。噂だけであまりよく知らない相手なのだ。邪推が過ぎるだろう。
 勝手な想像に空恐ろしくなっている乱太郎を余所に、きり丸は何も知らないような顔で笑っていた。

「という訳で三月になったら徴収するからな。あ、計算はちゃんとするからそこは安心しろ」
「さっきも思ったんだけど、一体いくらぐらい」
「ま、それは後のお楽しみってことで。いやあ、にしても助かったぜ。俺一個しか食ってないからほとんど負担ないし。あれだな。赤信号、皆で渡れば怖くない!」

 ふざけた事を抜かす友人の頭を思い切り叩いた。痛ぇと声が上がったが知ったことではない。
 二月だというのに汗が背を走っていく。胃の中に納まった小さなチョコレートが一気に重くなったようだ。