この男にはやる気というものが備わっているのだろうか。

 試験二日前だというのに雑誌片手にベッドへ寝転がり、ぱりぽりと気の抜ける音を立ててスナック菓子を食べている姿は、やる気とかそういったものが欠落しているようにしか思えない。
 留年二回目だというのに、焦ったりはしないのだろうか。
 いや、留年二回目だからこそ妙な余裕があるのかもしれないが。

「随分余裕のようですけれども。勉強する気、あります?」
「あるある、すっごくある」
「……本当に?」
「ホントホント。雑誌見てたのは滝を待ってたからだよ」

 からからと笑ってタカ丸は雑誌を閉じてベッドから降り、またスナック菓子に手を伸ばす。
 ぱり、と緊張感には程遠い音が寮の一室に響いた。それに滝は不快ささえ感じて顔をしかめた。雑誌を閉じるつもりはあっても、スナック菓子を食べるのをやめるつもりはないらしい。

「……まったく」
「ん、何か言った?」
「いいえ。それより、試験までもう日がありませんからね。早速試験勉強しましょう」
「うん。あ、そうだ。滝も食べる、これ」

 人の気も知らないで鼻先に袋を突き出してくる。
 少々こめかみ辺りを引きつらせながらも、いらないときっぱり答えて、滝は持参のノートと教科書、参考書を取り出した。
 部屋の中央に備え付けられている小さな白いテーブルにそれらを広げる。広げられたノートを見て、タカ丸が感心したような声を上げた。

「滝のノートって凄いなあ。綺麗っていうか細かいっていうか」
「当然です! 学年一の成績を誇るこの私のノートが雑なわけないでしょう。この前も日本史の先生に……」
「えーっと滝、勉強は」
「そうでしたね」

 褒められればもちろん悪い気はしない。調子に乗って話し始めたところへ、タカ丸のやや慌て気味のストップがはいった。

 話を止められて多少むっとしたものの、自ら試験勉強を催促するようになるなんて、やる気が完全に欠落していたわけではないのだなと納得する。

 もともと一緒に勉強をやろうと言い出したのはタカ丸の方だ。

「学年トップの滝と勉強したら少しはマシになるだろうと思ってさー」

 その時は見かけによらず熱心な奴だと感心したものだが、続けて口から出た言葉が、「勉強終わった後は髪をいじらせて」である。意味が分からない。
 確かに滝の髪は短いが、女も羨むような綺麗な黒髪で、美容師を目指している(らしい)彼には魅力的に映るのかもしれないが。

 部活が休みとはいえ、滝とて暇ではない。学年一の成績をキープするのはそれなりに努力をしなければならない。
 当然今日も試験勉強に精を出す予定だったが、散々懇願されればまあ少しくらいなら見てやらないこともないという気になる。それだけだ。別におだてられたからとかそういうことではない、断じて。

「それでは始めましょうか」
「うん。ところで試験範囲ってどこからどこまでだっけ」
「は?」

 何を言っているのかこの男は。
 二の句が告げずにいると、タカ丸は困ったように滝のノートを一枚めくり、

「実は試験範囲のプリントなくしちゃってさー。同じクラスの奴らに訊こうと思ってたんだけど、面倒――じゃなくて、うっかり忘れちゃってたんだ」
「…………」
「も、もちろん全部じゃないよ。日本史と古文と数学と英語と……」

 それからタカ丸は一通りの教科を並べ立てていく。
 ほぼ全ての教科の名が挙げられた頃にはもう、勉強を教える気がなくなっていた。

 馬鹿だ。
 はっきり言って馬鹿だ。

 年上に対する振る舞いはきちんとする滝も、このときばかりは抑制を忘れた。
 直前に勉強し始めるだけならまだしも、試験二日前に試験範囲を訊く馬鹿。
 これを馬鹿だといわず一体何だというのか。少なくとも馬鹿以外に当てはまる言葉は思いつかない。

 滝はテーブルに並べられた教科書諸々を閉じて立ち上がった。座っているタカ丸がきょとんと滝を見上げる。

「どしたの」
「帰ります」
「ええっ、それは困るよ」
「何と言おうと、帰ります」
「折角来たんだし」
「今度私を呼ぶときは、試験範囲を全て把握してからにして下さいっ!」

 あたふたと立ち上がるタカ丸に一瞥もくれず、滝は教科書類を胸に抱いてドアノブに手をかけた。鈍い銀色のドアノブに手をかけて回すと、今の自分の心情を表すかのような音がした。

「待ってってば」

 そのまま廊下へ出てドアを閉じるだけだったのだが、部屋を出る寸前に腕をがしりと掴まれて阻まれた。
 己の不真面目な態度に反省でもしたのかと視線を返せば、タカ丸は思いのほか緊張感にあふれた顔だ。
 謝って改めて教えを請おうというのか。

 まあ私は心が広いから、土下座とはいかないまでもそれなりに誠意のある謝り方ならば許してやらないこともない。滝は少し期待しながら、彼の言葉を待った。

 果たして彼は言った。

「せめて――せめてその髪を少しいじらせてくれないかな?」

 至極真剣に呟く彼には、まったくもって。
 馬鹿という言葉すらもったいない。








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試験二日前に範囲を確認するのはまんま私です。