突然降ってきた雨をもう何十分見つめているだろうか。店屋の軒下に逃げ込んだはいいが、ちっとも降り止まないばかりか、その勢いは増すばかりである。傘は持っていない。売っていそうな店もない。舌打ちしても状況は変わりない。
 晩秋だ。学ランを着ているとはいえいささか冷え込む。
 人通りは元々少なく、車すらほとんど通らない。家までの道程を思うとひたすら憂鬱である。このまま小雨になるのを待ち続けるか、それともいっそ飛び出してみるか。一切を拒絶するかのような雨が、迷う心を嘲笑っている。
 その時戸を開ける音がした。傘を差し出される。紺一色、地味な模様。

「傘、ないんでしょ」

 振り返ると、店から出てきた男が柔らかく笑った。

「これ使ったらいいよ」

 男の口調はどこまでも穏やかだ。まさしく天の助け、これも日頃の行いが良い為であろうか。
 受取って御礼を言おうとすると、男が手を差し出してきた。
 手の平をお椀形に作って、顔に笑みを浮かべたまま。

「525円になります」
「…………は?」
「傘代。525円です」

 とびきりの営業スマイルで、ずいずいと手を差し出す。
 しかしちょっと待って欲しい。この傘は親切で貸してくれたんじゃないのか?
 一体どうしてこんな展開に? 
 一瞬混乱したが、ウィンドウ越しに目を向けて初めて気が付いた。店を飾るのは女が好みそうなきらびやかで可愛らしいものばかり。店の名も様子もろくに見ずに雨宿りに飛び込んだが、どうやら雑貨屋のようだった。
 差し出された傘も商品なのだ。まったく感謝して損をした。男を見ると、まだにこにこしている。
 だが、助かった事には変わりない。地味な色合いの傘はまったく己の好みじゃないけれども、かといって少女趣味の傘よりは遥かにマシだ。
 財布から小銭を取り出そうとすると、何故か先に男の手が引っ込んだ。

「なんちゃってね。それ商品じゃないから、タダでいーよ」

 ひらひらと手を降って、またもや気の抜けそうな声で笑う。
 冗談、か? だとしたら非常に分かりにくい上にタイミングが遅すぎる。
 大体、財布に伸ばした手の引っ込みがつかないではないか。

「無料で持っていくわけにはいきません。ちゃんと払います」
「俺個人の傘、しかも使い古しのだから別に構わないし」
「しかし持っていく以上は」
「うーん、本当にいいんだけど……あ、だったらさ」

 名案を思いついたと言わんばかりに目を輝かせて、

「同級生の女の子にでもこの店紹介しといてよ。それで、チャラって事で」
「……生憎、男子校に通っているものですから」
「えー、そうなの。じゃあお姉さんか妹さん」
「姉妹はいません」
「参ったなあ。どうすればいい」

 心底困ったように腕を組む男相手に、意地を張り続けるのもどうかと思い、財布を引っ込めた。
 頭を下げる。

「後日返しに伺います」
「貰っちゃっていいのに……でもまあ、その方がいいのかな。いつでも構わないからね。暇だし」

 最後の台詞は笑い事じゃないような気もするが、男は傘を差出した時と同じようにふにゃりと笑った。
 何だかんだで親切な人ではある。もう一度頭を下げ、傘を広げて雨の中を飛び出した。

(……うん?)

 しばらくして違和感を感じた。柄が綺麗すぎるのである。覆うビニールでさえ、少しも剥がされた様子がないし、汚れてもいない。そういえば雨を弾く表面も裏も買ったばかりのように新しい。どう見ても使い古しの傘には見えないのだ。
 かといってあの店の商品にしては地味すぎるような。
 人当たりの良い笑みが思い浮かんだ。

(……どこまでが嘘でどこまでが本当なんだ)

 空を見上げる。雨が上がったら返しに行こうと思った。
 明日には快晴になっているだろうか。