悲惨な腕に薬を塗り込み手早く包帯を巻いてゆく。痛みは相当なものだろうに、仙蔵は表情一つ変えず事の次第をじっと見つめている。終わったぞと手を放すと、彼は一寸感心したような顔をした。
「中々見事な手際だな」
「何だよ気持ちの悪い」
「褒めてやってるんだから素直に受け取れ。それにしても上手いもんだ。さすがに伊作と同室なことだけあるね」
微妙な表情になったのが己でも分かる。おや、と仙蔵が面白そうに目元を細めるのを見て、こんな奴の手当てなんぞしてやるんじゃなかったと心底後悔した。
何だ、伊作はここにもいないのか。
言いつつ仙蔵が戸を開けたのはつい先ほどである。
突然の来客に読んでいた書から顔を上げて、伊作なら一寸前に便所紙補充しに行ったぞと答えてやると彼はさほど困惑した風でもなく、
「そりゃ困ったな。医務室には下級生しかいないんだ」
そう言う彼の左腕には成程、下級生の手には余るであろう痛々しい傷があって、だというのにあんまり涼しげな顔をしているものだから、ついうっかり情をかけてしまったのである。
思えばそれがいけなかった。大人しく伊作が帰ってくるのを待たせておけば良かったのだ。
そうすれば彼の中の厄介な衝動を覚ますこともなかった。
己の行いを恨めしく思いながら、仕方なくまあそうだと肯定する。密かに舌打ちするのも忘れない。
「そんな不快そうにしなくてもいいだろう。手当て上手のどこがいけない」
「そりゃそうだろうがな。これまでの経緯を思うと素直に喜べん」
「経緯ねえ。そりゃ伊作と六年間一緒なら色々あったろうなあ」
ますます目を細くする。なんだお前狐みたいな顔しやがってと吐きかけるがこれは果たして悪態なのかどうか判断が難しいところである。
結局口には出さず、包帯と消毒液を救急箱の中にしまいこんだ。
古く使い込まれたそれは伊作愛用のもので、軽い傷を負ったとき等有難く使わせてもらっている。
仙蔵は仕舞う手際さえまじまじと見つめ、やはり馴れているさすが不運の相方と最早感心なんだか悪口なんだが分からん事をのたまった。
この男がこうも執拗に絡んでくるのは己の嫌がる顔が見たいからだと分かっていても、眉間の皺は益々深くなるばかり。仙蔵の目も細くなるばかり、だ。
その内こんと鳴きだすんじゃあないかと留三郎が真剣に思い始めたとき、戸を開け顔を覗かせた男がいた。
「やれやれやっと終わった。あれ、仙蔵珍しいね、どうしたんだい」
「少し下手してしまったんだ。お前こそどうした、便所駆け回っただけでそんな姿になるもんかね」
「伊作相手にその質問は野暮だ仙蔵」
頭巾は所々破れ、覗いている癖毛には葉や土がこびり付いている。袖の間から見える腕には幾筋もの傷が走り、膝小僧は両方とも擦りむけ、額と鼻からも血が出ていた。
壮絶と言っても差し支えない程だが、慣れている二人はまったく騒がない。
伊作が困ったように笑った。
「二人とも酷いな。一年生の手裏剣を避けようとしたらたまたまあった石に躓いて転んで落とし穴に嵌まっただけだよ」
「一連の流れはさすが伊作というべきか。恐れ入る。だがそれしきの事でそんな姿になるのか」
「いやこれには続きがあるんだ、落とし穴から這い出たぼくの頭に」
「もういいからさっさと手当てするぞ。額を出せ、鼻は自分でできるだろ」
「悪いね留三郎」
鼻に詰め物をしながら、いそいそと額を差し出す伊作。真新しい傷を消毒してやっていると、やおら仙蔵が立ち上がった。興が削がれたとでも言わんばかりに肩をすくめさっさと部屋を後にする。
留三郎は胸を撫で下ろした。仙蔵という奴は酷く気分屋で、面白い事は逃すまいとする癖に一旦興味を失うとそれきりだ。この場合は第三者の登場が一番の原因だろうから、良い機に現れた友人に感謝しなければなあと思った。
そういや、と大人しく前髪を上げていた伊作が呟く。
「仙蔵の手当ては留三郎がしたんだよなあ」
「なんかまずいことでもあったか」
「違う違う、逆だよ。上手いもんだと思って」
手際もいいしね、と続けて言う伊作の額を思い切り弾いてやりたくなったが、さすがに怪我人相手なので自制する。
まったく誰の所為だと思っているんだか。
感謝の念はたちまちに消え、僅かに腹立たしくなり眉を寄せたが、当の伊作の顔ときたら鼻に詰め物をし傷だらけの手で前髪をあげ尚且つ口は半開き。滑稽すぎるほど間抜けな表情に沸いた怒りもすぐに四散してしまった。
まあ確かに悪いことではないのだ。
下手であるより上手である方が良いに決まっているし、怪我の絶えない己等には非常に役立つ技術である。
只、今までのあれやこれやを考えるとうんざりした気分になるだけで。一寸やるせなくなるだけで。
「留三郎、おーい、留三郎ってば。消毒はもういいよ。他の傷も後は自分でできる」
「うん、ああ、そうだな」
「どうしたんだ、いきなりぼーっとして。ひょっとして気分でも悪いのか」
「そんなことはないさ。ただ少し頭が痛いような」
「頭が? そりゃ大変じゃないか。どういう痛みなんだい。ズキズキするのか、それともガンガンと揺さぶられる感じ……」
よほど訳を言ってやろうかと思ったが、自分の怪我など忘れたように深刻な顔をする伊作を見てると、言おうとした事も喉の奥に引込んでしまう。
代わりに口をついたのは、どちらかといえばズキズキの方が近いかもしれないという台詞だった。
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