昼食時間の食堂で、すっかり飯を食べ終わった三郎がゆっくりお茶をすすっていると、忙しく食堂へ駆け込んできたものがあった。 廊下を爆走したのか、苦しそうに息をするその人物は友人の兵助である。 「お茶なんか飲んでる場合じゃないぞ三郎っ! た、大変なんだ」 「大変なのは分かったからとりあえず落ち着け」 「これが落ち着いていられるかっ! 雷蔵が告白されたんだぞ」 「ほお」 何かと思えばそんなことかと三郎は残ったお茶をずず、とすすった。途端に兵助がきょとんとしたような顔で、 「あれ? 何だ、驚かないのか三郎」 「驚くも何も。友人が告白されて妬むような心の狭い人間じゃないさ、わたしは。……で、雷蔵は一体誰に告白されたんだ? くの一か」 「あ」興味深深に尋ねる三郎に兵助は何度も目を瞬かせ、それから神妙な顔つきになって真面目に呟いた。 「重要なことを言っていなかった。雷蔵に告白したのは、男なんだ」
兵助の話によると、雷蔵と一緒に食堂へ向かっていた途中四年生に声をかけられたそうだ。よく知らない後輩だったそうで、雷蔵も少々不思議に思って呼び声に応じたらしい。 その四年生の子は何故か顔を真っ赤にさせ、何事かしどろもどろで呟いた後、決心がついたように(もしくは半ばやけっぱちのように)雷蔵に向かって「好きです!」と告白したのだとか。 「おれもいたのにさあ、その場で告白だぞ。勇気あるよなあ。まあ告白した後は恥ずかしそうにどこかへ走り去っていったけど」 「あれには驚いたなあ。まさか後輩に、それも男に告白されるなんてさ」 すっかり落ち着いた兵助は、三郎の向かいの席で美味しそうにお茶を飲み始めた。先ほど食堂に着いたばかりの雷蔵は、三郎の隣に座って熱いお茶に息を吹きかけている。 眉は下がり、困ったような微笑を湛えているその顔を、三郎は溜め息混じりに眺めた。 「驚いたのはこっちだ。お茶を噴出すところだったじゃないか」 空になった湯飲みを人差し指で弾く。からからんと音を出して、湯呑みは少し揺れそれから動きを止めた。音が止むと同時に、兵助が湯飲みから口を離して真面目ぶった顔を作った。 「しかしまあ、男色なぞそれ程珍しいことでもないしなあ。どうする雷蔵。告白を受けるか?」 「うーん。でもなあ」 いきなり見ず知らずといってもよい後輩に告白されるなんて思ってもいなかったのだろう。雷蔵は自分の身に起きたことが信じられない、と言わんばかりに首を傾げて捻った。 しかし三郎にとっては友人二人が悩んでいる様子は滑稽他ならなかった。その後輩がどれ程雷蔵を想っているのかは知らないが、雷蔵の方は彼を何とも思っていないだろう。 雷蔵や兵助は真剣に悩んでいる様子だが、好きでもない同姓の後輩と付き合うなんて言語道断。おかしなことである。 放っておけば延々と悩み続けそうな雷蔵も、最終的には自分と同じ結論を出すに違いない。 ……と三郎は思っていたのだが、話は予想外に変な方向に進みそうになっていた。 「だけど理由もないのに断るのもなあ」 「……は?」 顎に手を当てながら呟いた雷蔵の言葉に、三郎は目を点にしてしまった。そうしている間にも、雷蔵の思考はどんどん妙な方向に進んでゆく。 「ぼくのことを想ってくれる人がいるっていうのは単純に嬉しい気がするし……付き合うってのもいいかもしれない」 「おいおいおいおいちょっと待て」三郎は頬を引きつらせながら雷蔵の言葉を制止する。友人は真面目でしっかりしている割に状況に流されやすいということをすっかり忘れていた。三郎は人差し指で額を押さえてから、きょとんとする雷蔵に向かって、 「雷蔵、それは幾らなんでも非常識じゃないか。嬉しいという一時的な感情で見ず知らずの後輩と付き合うなんて」 「非常識か。三郎の口からそんな言葉が出るとは思わなかったなあ」 「わたしは十分常識人のつもりだが。いやそんなことより、君は迷うわりに結論がいささか大雑把過ぎるんじゃないのか」 「それを言われると痛いけど……三郎、お前さっきから何怒ってるんだよ」 怒っている。これまた思ってもいなかった言葉だ。 というか三郎としては怒ったつもりはないのだが。何故そのように思ったのだと尋ねてみたかったが、雷蔵の困ったような視線が突き刺さって三郎は口をつぐんだ。 雷蔵の観察眼はかなりのものだ。図書委員長の長次や、変装名人と呼ばれる自分と交流がある所為か、或いは天性のものかもしれない。とにかく雷蔵は人の表情の変化には鋭い。 はっきりと断定しなかったのは自分が憤怒した理由がさっぱり分からなかったからである。 雷蔵の迷い癖などいつものことだし、大雑把さだって慣れたことだ。今更苛つくなんて―― 三郎が思考を巡らせていると、視界の隅で雷蔵と兵助が視線を合わせて決意表明のようにこくりと頷いていた。ややあって雷蔵は三郎に向かい合い、申し訳なさそうに頭を下げた。 「すまん三郎、嘘なんだ」 「はあ?」 一瞬何のことか理解できなくて、間抜けた声を出してしまった。雷蔵が続ける。 「だから、告白の話は嘘――ではないけど、全部が真実でもない、というか」 「……どういうことなんだ?」 「つまり」 曰く、あれは罰ゲームだったのだと。後輩の子は何某かの遊びで負け、『誰か適当な先輩に告白の真似事をする』という罰を受けなければならなくなった。そこでたまたま通りかかった雷蔵たちを捕まえて、虚偽の告白をしたのだと、つまりはそういうことらしかった。 「告白をしたその後、後輩の子は恥ずかしそうにどこかへ走り去ったって言ったけど、実際はすぐ謝ってくれたんだよ」 「………」 「たまにはぼくも三郎をからかってみたいなあと思って、兵助に頼んで話を合わせて貰ったんだ。でも三郎がそんなに怒るとは思わなかったから……本当にすまん」 「………もういい、まんまと騙されたわたしも悪いんだし」 「そうだよなあ。あんまりあっさりと騙されるからおれ達も少し驚いたんだけどな」 「………」 兵助の言葉に三郎は押し黙った。 観察眼ならば自分だって負けるつもりは無い。それなのに二人の様子や表情に浮かぶ、芝居じみた色にまったくと言っていいほど気がつかなかった。今日に限って鈍ってしまったのだろうか、と唇を噛み締めたいほどにだ。 けれどそれ以上に心を占めるのは、どうしようもない否定の感情であった。 実際、今日に限って鈍ってしまっただなんて、そんなことあるわけがなかった。 今日だからこそ鈍ってしまったのだ。 すとんと。騙されたときのようにあっさりと気づいてしまった。 ――いいや違う、本当はもっと前から気づいていた。気づきたくないふりを、知らないふりを決め込んでいただけだ。これはきっかけに過ぎない。 何故自分が雷蔵の煮え切らない態度に怒ってしまったのか。付き合うのもいいかもしれない、なんて台詞に焦ってしまったのか。 突然目の前でぱん、と手を合わせる音がした。雷蔵の申し訳なさそうな顔が瞳に映る。 「三郎、あとで団子でも買ってきてやるからさ。勘弁してくれ」 「……そこまで言うんだったら仕方ない。おい兵助、君も雷蔵を見習ってわたしに何か奢るように」 「な、なにぃ!? お前さっき、騙された自分も悪いって言ってたじゃないかー!」 兵助の悲鳴と雷蔵のほっとしたような笑い声。それを聞きながら、三郎は笑みを作った。 静かに、密やかに。 ――大丈夫だ。気がつかないふりには慣れている。 長年の友人へ抱くにはあまりにも間違っている感情は、深く、深く。
最後に。いつも足を運んでくれる方々、ありがとうございますm(- -)m |