顎を伝っていた汗が鎖骨へと滑り落ちていった。陽が輝けば輝くほど不快指数が上がってゆく。
朝のニュースで、夏はこれからが本番だとアナウンサーの女が涼しげに告げていたのを思い出して、更に気が重くなった。
その上、鬱陶しい男と顔を見合わせた日には。
「おー居た居た仙蔵!」
「……」
「違う違うこれ汗じゃないって。さっき水泳したから。んな避けることないだろ」
「失礼。どうりでいささか新陳代謝が良すぎると思った。ところでここは生徒立ち入り禁止だぞ。さっさと帰れよ」
「立ち入り禁止って、鍵開けたの仙蔵じゃん」
「私はいいんだ。生徒会役員だからな」
「ふーん。じゃあその仙蔵の友人である俺も居ていいってことだな!」
「そんな理屈があるか」
糠に釘を打ち付けているような言い合いに、汗ばかりが流れ落ちていく。給水塔の影もあり、他の場所よりは遥かに風通しが良いのが救いだが、噛み合わない無駄話を続けるのはこの天候では辛いものがある。
話はついたものだと決めてかかっている小平太は、さっさと仙蔵の隣に腰を落ち着けた。抱えていた菓子パン×三を、どれから食べよう
かとお気楽な顔で見比べている。
しょうがない。仙蔵は投げやりな気分で事を放り出した。
こんな暑い日に無駄なことはしない方が良い。一度こうと決めたら聞かない男だと重々承知している。
手の甲で汗を拭いつつ、仙蔵もパンの袋を開けた。小平太は早二つ目をパクついている。
蝉の鳴き声が騒がしい。
焼きそばパンに噛り付いていた小平太が「けどさ」と口を開いた。どうでもいいが麺が口からはみ出ている。
「仙蔵暑いの苦手そうなのに、なんでわざわざ外で食べてんだ。教室とか食堂――は熱気こもってて微妙だけど、クーラー効いてんだから外より涼しいだろ」
「……冷房、苦手なんだよ」
仙蔵の答えに、小平太は一瞬きょとんとした後、何故か破顔した。
「仙蔵もか! 実は俺も好きじゃないんだ。うちのクラス一日中ガンガンだからさー。授業中は我慢してるけど、ずっと浴びてたら体がバカになっちまう。扇風機は平気なんだけど」
「お前、扇風機の前で叫んだりするタイプだろ」
「もちろんするぞ。仙蔵もしただろう」
「いや、しないが」
「え、しないの。楽しいのに」
信じられないと言って、三個目のパンに突入。見ているだけで食欲も失せる食べっぷりである。きっと夏バテとは縁のない男なんだろうと思いつつ、食べ終えた菓子パンの袋を丁寧に折りたたむ。
やや遅れて昼食を終えた小平太は、少し伸びをして、フルーツ牛乳のストローをくるくると回した。
濡れた髪が、過ぎった風に重たく揺れている。
「いいな、ここ。結構風くるし」
「だがそうそう来れないぞ。鍵かっぱらうのも楽じゃないんだ」
「れ? 役員は良いんだろ」
「嘘に決まってるだろうが。会長ならともかく、一役員、それも一年生が用もないのに屋上に立ち寄れるか」
「なんだ、嘘かあ。良い場所なんだがなー。あ、じゃあ仙蔵、明日から教室で食うんだ」
「まさか。他にマシな場所を見つけるさ」
この季節、外に出て飯を食べるような酔狂な輩は滅多に居まい。
屋上よりは劣るだろうが、学園は広いし、他にも良い場所は見つかるだろう。
「昔聞いたことがあるんだけどさあ」
いつの間にか牛乳を飲み終えた小平太が、一瞬、考え事をしているような仕草を見せ、
「猫は暑い日でもいっとー涼しいとこを探し出せるらしい」
「はあ? 猫?」
「仙蔵は猫みたいだな」
だからお前を探し出せば、一番涼しい場所に辿り着けるんだ。
紙パックを潰しながら、小平太が快活に笑っている。
仙蔵は目を細めて、口を釣り上げる真似をした。
「それならお前は夏の間中、私を探し出さねばならんなあ」
「そーいうことになるか」
素直に頷く同級生に、今度こそ呆れて軽く息を吐く。
小平太は笑っているが、調子が冗談じみていない。
彼ならば本当にどこへ行っても仙蔵を見つけるだろう。今日のように何食わぬ顔で隣に腰掛け、菓子パンを齧りはじめるのだ。
どんなに涼しい場所を見つけてももれなく彼がくっついてくるのか。何だかなあ。考えれば考えるほど暑苦しくて鬱陶しい気がする。
「冷房の中にいた方がマシだったかもな」
小さくごちて、入道雲のたちこめる空を仰いだ。
明日は暑さがまた一段と上がりそうである。
「懐かしいな。二年前の話か」
昼食を食べ終えた仙蔵は寝転んで、やけに重たげに流れる雲を追っていた。
小平太は飲み終えたフルーツ牛乳の紙パックを握りつぶして、仙蔵の視線の先を何となく追い始めている。
「お前は律儀な奴だったよ。昼食時にはほぼ毎日、私の前に現れてくれやがって」
「仙蔵は凄い奴だったな。絶妙に涼しいとこばっか探し当ててくれた」
校庭からは昼食を食べ終えた生徒達の賑やかな声が聞こえる。ボールの跳ねる音に反応したらしい小平太は立ち上がって、フェンスに寄りかかった。
屋上は通常時立ち入り禁止だから見つからないようにと、何度も重ねた忠告は、今回だけは口にしない。
代わりに身を起こして小平太の背中を眺める。
互いに投げる言葉はない。雲の流れる音と校庭の喧騒ばかりが妙にはっきり感じられた。
どれほど時間が経ったのか。そろそろ予鈴の鳴る頃かと携帯を確認しようとした時、ようやく小平太が振り向いた。
「なあ」
「ん?」
「どうして、いきなり一年の頃の話なんか思い出したんだ」
小平太の丸い瞳が仙蔵をとらえる。
その瞳を見返すことなく、仙蔵は肩を竦めた。開きかけた携帯はそのままに空を見上げる。雲はまだ少し重たげだ。柔らかでいささか涼しすぎる風が二人の間をすり抜けていくのを感じる。
何を言うべきか、そして何を言わざるべきか。僅かな逡巡。小平太は黙って返答を待っている。丸い瞳は今だ仙蔵を射抜いたまま。
思いついた台詞を浮かべようとして……止める。
代わりに他愛もない、誰にだって分かるような事を口にした。
「もうすぐ夏も終わる頃か」
呟くような声に小平太は問い返す事もなく、ただ少しだけ頷いたようだった。
予鈴が鳴る。
生徒達の喧騒も徐々に消えていった。
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三倉様リクエスト、現代パラレルで夏っぽい小仙でした。
大変遅くなりまして申し訳ございません。も、もう秋になってるじゃないの…! 夏よフォーエバー…!
仙蔵は冷房苦手そうだなあという妄想広げていったら楽しくてしょうがなくなりました。扇風機でア゛ーは小平太なら絶対やってそうです。……実は仙蔵もやってたらとてもとてもかわいいです。
最後になりますが、三倉様、素敵なリクエストを本当にありがとうございました!
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