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呼び止められて振り向く。瞬間、藤内は驚きのけぞった。
突然迫ってきた顔にではない。いや、それも多少含まれないでもないが、何より藤内の表情を引きつらせたのはその首に巻きついた毒蛇だった。
鋭利な輪郭が藤内の目と鼻の先にある。するりと出した舌が獲物を狙うそれで、藤内は数歩後ずさった。悲鳴を上げなかったのは矜持に引っかかったからではなく、単に声が喉に絡まって出なかっただけだ。
孫兵がいかにも不満そうに両眉を寄せた。
「何だ藤内その反応は。失礼な」
「失礼ってお前それはないだろ……」
「じゅんこは繊細なんだ、傷つくだろう」
「繊細って」
年頃の娘に対するような台詞をさらりと言い放つ。茶化すのは藤内の性には合わないが、そうでなくても今の孫兵を相手に下手な言葉を言える奴はいないような気がした。
それ程彼の目は真面目腐っていて、少し呆れてしまう。が、そんな場合ではなかった。何かが肌を這う感覚にぞうっとし、藤内は今度こそ声を上げた。
袖をまくって腕を見やると正体はカメムシである。
「何でこう放っとくんだよ!」
「人聞きの悪い。ちょっと自由奔放なだけだ」
「同じことだろっ」
「おい藤内、乱暴な真似は止めろ。払いのけるなんて酷いことを」
「そっちの方がよっぽど人聞き悪いぞ」
落ちそうになったカメムシをしっかり受け止めた孫兵が非難の声を上げる。
だから逃がすなって常日頃から言ってるのにと思わないでもなかったが、それより気になったのはやはり蛇の目であった。孫兵がカメムシを受け止めようとしたが為に、折角広げた距離がまた縮まってしまう。
さすがにここで後ずさるのは露骨だと思い、その場にとどまる。おや、と孫兵が瞬きした。細長い生き物が藤内を睨みつけた、気がした。
「藤内やっとその気に」
「は?」
その木ってどの木。
妙なボケが頭を掠めて消える。言葉の意味も孫兵が喜んでいる理由も分からない。そんなことより独特の臭いが鼻を突いて不快だ。言わずもがな、己を払いのける藤内を敵とみなしたカメムシが放ったものである。
腕からのぼる強烈さは常人には長く耐えられるものではないが、孫兵はまったく意に介した風ではなかった。早く腕を洗いたいと思いながら藤内は孫兵を見据える。
「悪いが孫兵、もう行っていいか。用件がないのなら」
「ああ」
孫兵が満足そうに頷き、
「藤内もようやくじゅんこと仲良くする気になったみたいだし」
ずるっと滑ってひっくり返った。
どこをどうこねくり回したらそういう事になるのか、孫兵は機嫌良さそうにするばかりでちらりとも言わない。藤内は地べたに手をつき身を起こした。
「一体どういう事なんだいきなり!」
「だって今逃げなかったじゃないか」
「それは……」
二度目はさすがにどうかと思っただけだ。それをどうしてそういう風に誤解されなければいけないんだろうか。
都合の良すぎる解釈に頭を押さえつつ、孫兵の首に巻きつく毒蛇に視線をやる。蛙を映す鋭い瞳、とてもじゃないが仲良くなんかできそうにない。
おまけにいよいよ臭いが目に沁みてきた。もう我慢ができない。誤解している孫兵を説き伏せるのは難しそうだったので、後に回して井戸へ向かうことにする。
「悪い孫兵、また後でな」
「ああ、後で親睦を深めようじゃないか」
思い切り不吉な事を言われたが全ては後回しだ。肯定も否定ももどかしく、藤内は一目散に井戸へと走っていった。
遠くなってゆく背中を見送りながら、孫兵はゆっくりとじゅんこの皮膚を撫でた。愛蛇は瞳をきゅうと細くしてそれに応える。孫兵も同じように瞳を細くし、語りかけるように呟く。
「お前達が仲良くなってくれたら嬉しいな」
気に入った者同士が仲良くなるのは喜ばしい事だよ。
さっさと駆け去っていった藤内には届かない言葉を、傍らで聞いていた蛇は、何も分からぬ顔で細長い舌ばかり出している。
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リクエスト一つ目、孫籐です。
じゅんこと仲良くして欲しい孫兵と、勘弁してくれな藤内。そんな二人の考えなどそ知らぬ顔のじゅんこ。
ちゃんと孫籐ぽくなってるか分かりませんが、こんな感じの二人と一匹を楽しく書かせて頂きました。
リクエスト本当にありがとうございました!
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