体が重い。
理由は明らか。体育委員会の活動がこのところ毎日続いている所為だ。
塹壕堀りに学園見回りと称したマラソン、時にはどう考えても遊びたいだけなのではないかと思われる球技に参加させられることもある。
どれもこれも過酷なものだから、解放された後は土やら汗やらで体中ぐちゃぐちゃ。
一年生など鼻から魂出るんじゃないかと心配になるぐらい放心状態だ。
そんなわけで学年一優秀だと豪語する滝夜叉丸も、連日続く過酷な活動にはさすがに疲れ果てていた。
慣れた慣れたと思っていたが、やはり毎日こうだときつい。
前は実習やら学園長の思い付きやらで委員会活動も途切れ途切れになっていたのだが、最近は行事も特になく、平たくいえば暇な日々が続いている。
それだから委員長が余った体力を全て委員会に注いでしまうのだ。
困ったことだとため息を吐くのも一回や二回ではない。
ちなみに今、その彼は下級生を送りとどけに行っている。さすがに夜も遅すぎた。
「早く長屋に着かないものか」
誰とも無しに呟く。汗を吸って重くなった上着を抱え、長屋までの道を歩いた。
自慢の髪も今はこびり付いた土などで酷いことになっている。時々頬を打って不快なことこの上ない。
虫の鳴き声が鈍く頭に響いてくる。
風が吹かないものだから、汗が中々乾かなかった。
早く風呂に入って布団に潜りこみたい。そればかりを思い、半ば体を引きずるようにして足を進ませてゆく。
しばらくしてやっと山の入り口付近に辿り着いた。こうなればもう長屋は目と鼻の先同然だ。
僅かに軽くなった足取りで、歩を進めていく。
と、道の途中でひたと足を止めた。
ぱらぱらと砂が落ちていった。
月が足元を照らしている。
道の丁度真ん中に、大人の胴回りよりも幾ばくか大きな穴が開いていた。
しかも中には誰かいるようで、くぐもったような声がする。
「誰かそこにいるー?」
聞いて、思わず脱力した。よりにもよってという気分だ。
それにしても一体どうしてこんな処で落とし穴に落ち込んでいるのだろうか。疲れたときに関わりたくない最たる人物である。さっさと長屋に向かいたいところだ。
だが遺憾なことに、彼は滝夜叉丸の存在に気づいているようだった。
最も誰かという確証はないようで、
「えーっと、誰かいるんだったら助けて欲しいんだけど、もしもーし」
いつもの調子だが、どことなく必死さが滲んでいるように聞こえなくもない。
仕方ないので覗き込んでみる。
「……どうしてそんなところにいるんですか」
「あー、滝夜叉丸」
ぱっと上を向いた顔が月明かりに照らされている。こうして見てみると、落とし穴が思ったより深くないことに気づいた。少なくとも、タカ丸の身長の倍以上、深さはない。
穴の中に膝を立てて座っていたタカ丸は、ほっとした顔を隠さず、そのままの姿勢で助けを乞うてくる。
「色々あってさ。詳しいことは後で話すよ。とりあえず助けてくれたら嬉しいんだけど……」
こちらを見て困ったように笑う。
しかし滝夜叉丸は覗き込んだまま動かなかった。
「タカ丸さん、それ罠か何かしかけられていたりしました?」
「普通の落とし穴だよ」
「そうですか。なら、生憎ですが」
「へ?」
「それくらいの落とし穴、自分で登って下さい」
浅くも無いが特別深いわけでもない。少し努力すれば登れる深さだ。
ただでさえ体力を消耗しているというのに、これくらいのことで頼られても困る。仮にも忍びを志すものならここは自力で登るべきだ。
もちろんこのような考えをタカ丸が知るわけもない。彼は焦ったような声を上げた。
「ちょっと待ってよ滝夜叉丸これには色々訳があって」
「訳なら後で聞いてあげますから。では失礼します」
「え待ってってば滝夜叉丸ー!」
まくしたてるような声を無視して歩き出す。
徐々に声は途絶え、虫の輪唱の方が大きくなっていった。
遅い時間だった為、風呂には一人でゆっくりと入ることができた。
こういう時間はまあ悪くない。まだ幾らか疲れは残っていたが、かなり楽になった気がする。
風呂にも入ったし、後は部屋に戻って寝るだけだ。
暗く冷たい廊下をひたひたと歩きながら、しかし先ほどのことが少しだけ引っかかっていた。
今になって思うと、彼の態度は変だった気がする。いくらタカ丸といえど、あの深さを登れないわけがない。
だというのに彼はおかしなくらいに焦っていた。
もしかしたら何か事情があったのかもしれない。
罠はないようだったが……そう、例えば落ちたときに怪我をした、とか。可能性としては有得ない話ではない。むしろ非常に。
「……有得そうだな」
だとすると悪いことをしたかもしれない。足でもくじいていれば登るのは随分難儀だろう。
けれども様子を見に行くのは少々億劫だ。ある程度疲れが取れたとはいえ、余分な体力はないし眠いし。
だが予想が当たっていたとしたら――。
しばし逡巡して。
滝夜叉丸はそのまま部屋へと向かった。
彼は今だ膝を抱えて座っていた。
顔を下に向けていたので眠っているかと思ったが、覗き込んでいる滝夜叉丸に気づくと顔を上げた。
「滝夜叉丸? 良かったあ。戻ってきてくれたんだね」
「私を待ってたんですか?」
「頑張ったんだけどさ。やっぱ無理みたいで」
予想は当たっていた。落ちたときに足を痛めたらしい。立ち上がると痛くってさー、と彼はいつもの調子で笑った。座っていればあまり痛みも目立たないのでこういう姿勢でいたのだという。
聞いて、思わず息を吐く。
「そういうのは真っ先に言ってくださいよ」
「伝えたいことって肝心なときに出てこなかったりするよねー」
「笑ってる場合ですか。今引き上げますので、この縄を体にしっかりくくりつけて下さい」
もしもの場合を考えて、一度部屋に戻って持ってきたのだった。
縄を落として、手近な木に残った端を結びつける。下からもそもそと身じろぎする音がした。
「つけたよー」
「では、多少痛んでも我慢してくださいよ」
残った力でぐいと引き上げる。
さすがに滝夜叉丸より身丈があるだけあって、タカ丸はそれなりに重さがある。それでも意地と根性で引き上げた。……この点日々の委員会活動の賜物かもしれない。あまり認めたくもないことだが。
無事に地面に戻ることができたタカ丸は、縄を解いた後、その場にへたりこむような格好でいる。大分体力を消耗しているらしい。
滝夜叉丸も似たようなもので、さすがに座り込むようなことはなかったものの、ぐったりと肩を落とした。
「ありがとー滝夜叉丸」
「いえ、これしきのこと、私にかかれば朝飯を作るよりたやすいことですが」
「今は夜だけどね」
「妙なツッコミはよしてくれませんか」
気が抜ける。
「ところでいつからここにいたんです」
「夕方くらいからかな。罠の勉強をしようと思って、とりあえず手始めに落とし穴を掘ることにしたんだ」
「落とし穴を……掘ることにした?」
眉間に皺が寄る。つまりは自分のこさえた罠にはまったということか。
「擬装する為にね、土を踏み締めてたら、過って落ちちゃって。いやー、誰も通らなかったらどうしようかと思ったよ」
「はあ……それは大変でしたね」
気力が一気にうせる。精神的な疲れがこんなに体の力を奪うとは思わなかった。
あまりに疲労したものだから、怪我をしている割には妙に元気なこの男をこのまま置いていこうかという気にもなった。
その考えを実行に移さなかったのは、タカ丸の服や手、こと爪に土が入り込んで茶色くなっていたからだ。
滝夜叉丸が去ってから何とか自分で這い上がろうとしたのだろう。頑張ったという言葉に嘘偽りはないらしい。
それに、月明かりの中、よくよく見れば額には幾つも汗が浮かんでいる。
助けられたことによる安堵で、痛みが気になり始めたのかもしれない。時折左足を気にする素振りだ。
足袋越しには分かりづらいが、どうやらそこを怪我しているようだった。
――まったく世話の焼ける。
また風呂に入らなければならないが仕方ない。
背負う気力は残っていないので、しゃがみこみ、タカ丸の腕を取って、自らの肩へとまわした。
強い土の臭いが鼻をつく。ゆっくり立ち上がった。
彼のほうが背が高いので、あまり格好がついたものではないが、何とか支える形にはなっている。
「これで我慢してください。帰りますよ」
何から何まで悪いね、とタカ丸は少々苦笑気味に呟いた。暢気な彼も思うところがあるらしい。
「あ、滝夜叉丸」
「はい?」
「後で一緒にお風呂入ろう。お詫びに髪洗ってあげる」
何かと思えば、呆れて物も言えぬ。
それではあまりお詫びになっていないではないか。
わざわざこの自分が手間をかけてやったのだから、もっと割に合うようなことをしてもらいたいものだ。
……と思うものの、特に断るつもりにはならなかった。というか断っても彼のことだから「遠慮しなくてもいいのに」とか何とか言うに決まっている。それなら別にどちらでも同じことだ。
何よりまずは。
「先に手当てをしてからでしょう」
「それもそうだね」
彼は言って、ふつりと黙り込んだ。
左足を引きずっている彼が、預けてくる体重を幾らか増してきた。
歩き始めて痛みが強くなってきたのだろう。
ゆっくりとした足取りで夜道を進んでゆく。この調子で歩いていれば、帰り着くのは何時になることやら検討もつかぬ。
だけれど急ぐつもりはなかった。こちらとて疲弊していることには変わりないのだ。
せめて夜が明ける前までには帰り着きたい。
そうして二度目の風呂に入り、疲れを少しでも落したかった。
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おおお遅くなって申し訳ありませんー!! そんなわけで一万打記念小説です。
いつものことですけれど、タカ滝かどうかも怪しい感じになってしまいましたが(‐‐;) 書くのはとても楽しかったです(こら)
来訪してくださった皆様、また、アンケートに答えてくださった方々、本当にありがとうございます(*^^*)
サイトも管理人もゆるゆるですが、これからも頑張ります!
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